2010年04月22日

せりふ

せりふせりふ自宅の庭のバラとキュウリを植えました
昨日は博多日帰りでしたので、台本を抱えて行きました。新幹線の往復の車内で「せりふ」を覚えようという魂胆だったのですが、何度読み返しても記憶にのこせない自分でした。(記憶する能力が落ちたのか。。)昨年の時はどうして覚えたかをひも解くと、あ、、そうだ、、読み合わせをしたんだ。。一人では、無理と悟って、覚えようとは意識せず、台本を何度も何度も読みました。夜の稽古は、残り30分前に到着。(講師の先生方、役者の皆さん、すみませんでした)稽古のあと、ひかるちゃんがいい事言ってくれました。「セリフを覚える方法は、読み合わせ」「でも覚えようと思わないで、読み合わせを重ねていけば、相手の性格?が判ってきてセリフは自然と出てくる」いや~。。なるほどと感心しきり。。お龍は京都弁だが、ひかるちゃんは京都弁がうまい。早速、お龍役のひかりちゃんがひかるちゃんを先生と呼んでいた。休日の特訓?の打合せまで。。。いいな。。いいな。。
この調子で、。。。午後10時に娘を塾に迎えに行き、夕食は何も口にしていなかったので、シャワーの前に「バナナ」一本食べて、爆睡。。夜から雨が激しく降ってきました。。


Posted by きりしま創造舞台(旧名称:はやと創造舞台) at 13:04Comments(2)|| |
コメント
今日の午前中は、海軍国分基地(今の国分駐屯地)から飛び立った神風特別攻撃隊員戦没者慰霊の集いに特攻兵士役のK氏と参列しました。戦後65年たった今も御遺族や元兵士の方々にとって戦争は終焉していない事実を実感しました。昼からは第二国分基地(今の空港)の慰霊祭に参列し、八場で共演するBさんのお父さん(慰霊祭の責任者でした)と話をすることができました。特攻に関する貴重な話を聞くことができました。またひとつ知らなかった霧島市のことを学んだ一日となりました。
Posted by GAMI at 2010年04月22日 17:22
私の父は傷痍軍人でした。右足、大腿部から東南アジアでの戦闘で失くしました。戦争はいかなる理由があるにせよ、悲劇のなにもでもありません。多くの方々の犠牲の上で、現代のこの時代があるのを忘れてはならないと思います。私が小さいころ、母が軍歌や、その時代の歌謡曲を歌っていた記憶があり、私自身も何曲か今でも覚えています。母の気持ちを思うと。。。これ以上、書けません。
Posted by 座長より at 2010年04月22日 17:48
 
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